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お約束だけできぬ人



「ああ、髪を結っているのですね」
「だから、女の身支度を勝手に覗くなって言わなかったかい、このトンチキが」

いつものように無遠慮に庭から家に上がりこむ男に、女は盛大にため息をついた。
髪を梳いていた柘植の櫛を傍らにおき、襦袢のあわせをそっと直す。

「あなたが髪を結っている姿は、たまらなくそそりますね」
「口説き文句もなっちゃいないね、もっと気の利いた表現をしてご覧よ」

冷たい言葉にも、男はめげずに今に上がりこむ。
もう慣れっこの女は、もう一度軽くため息をつくと櫛をとった。
男はそれに興味を惹かれたように、子供のようにねだる。

「私に、髪を梳かせてもらえませんか」
「旦那でもない男に髪を触らせるほど、安くはないつもりだよ」

女は振り向きもせず、そう切り捨てた。
瞬間、太くたくましい腕が、女の体を捕らえた。
その加減を知らない強さに、息を呑む。
首筋に熱い熱を感じて、体が震える。

「……なんのつもりだい」
「どうして、振り向いてくれないんだ。好きなんだ。あなたが好きなんだ」

つたなくそっけない、けれどそれゆえにまっすぐで飾りない言葉。
身を引き絞られるような痛みが、女の胸を指す。
一瞬、前をむいたまま男に見えないように唇を噛む。

「……とおも年下の男にうつつを抜かす囲い者か。そりゃ大層な見ものだね」
「そんなの関係ない!俺があなたを守る!」
「そういうのは、自分で稼げるようになってからお言い。坊や」

男の腕に、さらに力がこもる。
けれどやはり、女は前を向いたまま。

「……あなたの心の氷室の雪は、いつか世に出て溶けるでしょうか」

昔馴染んだ、言葉遊び。
女はそっと、笑う。

「本当に困ったお坊ちゃんだよ。無理を通せば道理がひっこむのかい?」
「……あなたはひどい人だ」
「ああ、そうだよ。とっとと愛想尽かしちまいな」

ああ、でも、本当に。

嫌なお方の親切よりも、てなもんだ。



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